
今回は、私が子無しを選択した理由のひとつ、「子供が苦手」についてお話ししますね。
「無邪気な子供」が苦手
私は、何度もお話ししていますが「毒親育ち」です。
幼い頃から少しでも自我が芽生えそうになると親にサッと芽を潰され、親の言う通りにしか動けない人形のように育てられました。
無邪気な子供時代など、無いに等しかったのです。
そのせいなのか、感情をあらわにしてはしゃいでいる子供たちや、無邪気な笑顔で親と会話する子供たち、床に寝転び「おもちゃ買ってー!!」とワガママを言える子供たちを見ると…
なんというか、言葉にできない思いがこみ上げて来るのです。
あえて表現するならば、それは「嫉妬」であり、「羨望」であり、そして「憎しみ」でもあるのです。

こんな感情を抱いてしまう自分が、怖くて、情けないです…
子供がうらやましい、と思ってしまう
私にとって、無邪気な子供は自分の叶えられなかった夢の塊です。
もしかすると、人によってはこんなふうに思う人もいるかもしれません。
「じゃあ、自分がやって欲しいと思ってたことを子供にやってあげれば?きっといいお母さんになれるよ!」
…と。

っていうか、実は母にそっくりそのまま言われたんですよね、このセリフ…
でも、ダメなんです。
私の心にあるのは「うらやましい」であって「やってあげたい」ではないので、自分の子供が自分より幸せそうにしていたら、私は子供から幸せを奪ってしまう。
…かつて、私が母から受けた仕打ちのように。
自分は子供のまま大人になれなかった
こんなふうに、子供時代に正常な愛を与えられなかった私は、心が子供時代に置き去りにされたまま成長できず、体だけ大人になってしまいました。
毒親育ちの人なら聞いたことがあるかもしれませんが、いわゆるアダルトチルドレンというものですね。
「大人とは何か」という話は、これまた深い問題になりそうなのでこの記事では省きます。ともかく私は、精神が大人になりきれなかったのです。
大人子供に子育ては無理!
こんな子供に嫉妬するような大人に、正常な子育てなどできるでしょうか。

いえ、結果は見えています。
私より不幸な人間がひとり、この世に誕生するだけです。
不幸の連鎖です。
よって、私は「考えすぎ!」「子供は産めば勝手に育つ(えぇ!?)」などの言葉に惑わされることなく、不幸の連鎖をここで断ち切ることを誓います。
おしまい。