子無しは幼い?|子無し人生で言われがちな言葉

選択子無し

こんにちは、アマリです。
今日はちょっと気分を変えて、「子無しあるある」話の「子無しは幼いのか?」について考えてみたいと思います。

子無しあるある話:「幼い」と言われる

子無しの皆さま、人から「幼い」と言われた経験はないでしょうか?

私は子ありの知り合いから、遠回しに「子無しは幼稚」だと言われてしまいましたね…。

ネット上でも、「子無し 幼い」というワードで検索すると、「子無しは幼い!幼稚!子育ての苦労を知らない!」という意見をよく目にします。

さて、子無しの人は本当に総じて「幼い」のでしょうか。

では逆に考えて…「子あり」は皆「大人」でしょうか?

「子無し=幼い」というのならば、子供を持つ人たちがみな「大人」なのかを考えてみましょう。
というわけで、私の身近にいた子持ち夫婦を思い浮かべてみることにします。

そうですね…「両親」が最も身近な子持ち夫婦なので、両親を思い浮かべてみます。

別の記事でも散々書いてきましたが、私の両親は全く「立派な大人」ではありませんでした。

母は、私の人格を否定して心を支配することで「自慢用の人形」に仕立て上げることばかり考えている人でした。
父は、母のヒステリーを恐れて私を身代わりに差し出し、自分の部屋に一日中閉じこもっている人でした。

「子あり=大人」?
とんでもない。
子供がいるからといって大人になれるなんてことはありません。精神が子供でも、体が大人になれば子供は作れるのですから。

「大人」とは、自分の人生を「強い意志で決断した人」

世の中には、様々な人生を歩んできた人たちがいます。

「子あり」と一言に言っても、

  • 私の両親のように、なんとなく子供を産んでしまった人。
  • 逆に、固い決意のもとで、子供を産むことを選択した人。

同じく、「子無し」と一言に言っても

  • なんとなく子供はいらないと考えている人。
  • 逆に、確固たる意志のもとで、子供を作らないと選択した人。

と、様々な人がいます。

この世のすべての人が、強い意志を持っているわけではありません。
私は、自分の人生に対して真面目に向き合い、「自分の意思で選択」した人が「大人」なのではないかと思っています。

「子無し=幼い」「子あり=大人」ではない

子無し人生を「決断」した人たちには、皆それなりの「理由」があります。
「子を産み育てる=正義」とされている世の中で、肩身の狭い思いをしながら自分の考えを貫くのは簡単なことではありません。

私が「子無し人生を決断」した理由は「毒親育ちの悲劇の連鎖」を断ち切るためです。
このことについて私は全く後悔をしていませんし、これを「幼い」と言われると悲しいです。

確かに私は「子育ての苦労」は知りません。
しかし「適切ではない子育てを受けた苦痛」は知っています…。

逆に、子供がいても精神が子供のままの人はたくさんいます。

子供を産んでおきながら、育児放棄で逃げてしまう人、子供を虐待で殺してしまう人、子供を自分の精神安定のためのサンドバッグにしてしまう人…。

子供にまつわる悲惨なニュースは毎日のように見かけます。
そんな人たちを「大人」だと言えるでしょうか?
いいえ、とても言えません。

子ありも、子無しも、「自分の意思」で人生を歩めばみんな「大人」

子ありの方がこのブログを読んでくださっているのかわかりませんが、もし「自分の意思」で子供を持つことを望み、立派に育てていらっしゃるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。

子無しの方も、自分の人生を「自分の意思」で決めたのならば、それは立派な「大人」ではないでしょうか?
これは既婚でも独身でも変わりません。

流されるままに生きてきた人も、いつか自分の人生に腹を括って決着をつけなければならない時が来ます。
その時に後悔しないように生きていきましょう。

おしまい。

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