子無しの理由:他人の人生に責任が持てない

選択子無し

こんにちは、アマリです。
今回は、私が子無しを選択した理由のひとつ「他人の人生に責任が持てない」についてお話ししてみますね。

子供を産むということは、この世に新しい「人間」を創り出すということ

「子供を産む」って簡単に言われがちですが、よくよく考えてみるとすごいことだと思うんです。
子供を産むって、つまりこの世に存在しなかった新しい「人間」を創り出すってことじゃないですか!

神様の所業に近いものを感じます。

そして、世の中の結婚した夫婦の多くが「人間」を日々創り出し、育てているのだと思うと、もう目眩がしてきます。

私は自分以外の人間の人生に責任を持つことはできない

すごく自分勝手な考えで申し訳ないのですが、私は自分以外の人間の人生について、とても責任を負えません。

子供をこの世に創り出すということは、その人間の「人生の責任」を担うということです。
子供の人数が増えれば増えるほど、その責任は何倍にも増します。

わ、私にはとても無理です…
よく子供を作る覚悟ができるなと思ってしまいます…

「子供を産むのは本能」という意見について

子供を産むことは本能だ!と言う人がいます。
性欲が本能ならば、性欲によってできる「子供」も本能だという考え方なのでしょうか。

ですが、悲しいことに子供を産んだはいいものの、育てずに捨ててしまう人も中にはいます。
虐待をして殺してしまう人もいます。

子供を産むのが本能ならば、子供を育てるのもまた本能のはずですが、どうやらそうではないようです。

ということは、人間にとって子供を「産み」「育てる」という行為は、「本能」ではなく「理性」に基づいて行われてることなのではないでしょうか?

少なくとも私はそうであってほしいと思います。
そうでなければ悲しすぎます。

私は理性に基づいて「子供を産まない」という選択をした

以前も書きましたが、私は子供が苦手です。

▼「子無しの理由」その1はこちら

子供が苦手な私は、子供を「産む」ことはできたとしても「育てる」ということができません。子育ては本能ではなく、理性によって行われる行為だからです。

私は、理性に基づいて「選択子無し」の人生を選びました。

人によっては子無し人生を「ずるい」「みじめ」「かわいそう」「自分勝手」「社会的責任を果たしていない」などと言う人がいるようですが、私はそのような言葉を投げかけられても「選択子無し」であることをやめようとは思えません。

「人間」をこの世に創り出すという行為は、私の負える責任の範囲を大きく超えているからです。

逆に言うと、そのような「大きな責任」を負える自信のある人しか子供を持つべきではないと思っています。

結婚したからなんとなく子作り…
そんな無責任な子作りをする人がこの世から一人でも減って欲しいと願っています。

私の両親がこのタイプの人間でした。
そんな私がどのように育ったかは…他の記事をこ参照ください。

以上、私の「子無しの理由」その2でした。

おしまい。

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